死後のこの世

今日は父方の祖母の納骨に行ってきました。

霊園はとてもデカく、だだっ広い敷地の中にたくさんのお墓が所狭しと並べられていました。骨壷を墓の下に入れてくれたおじさんはとてもよくしゃべり、寒空の下に突っ立っている私たち家族四人のことなど気にもせずに、昨今の霊園の問題について延々と語ってくださいました。あの人は今夜、口を縫られる夢を見ればいいと思います。いや、でも、とても感じの良い人でしたので今のは撤回します。口を縫われそうになる夢で手を打ちましょう。

話によると、線香の受け皿や花立を盗んでいってしまう人など当たり前で、植木を引っこ抜いていく人、雑な工事を請け負う自称植木職人、挙句の果てにはお供え物目当てに園内のトイレに住み着く人など、様々な人がうろついているそうです。話を聞く限り、霊園といえどもそこはまるで社会の縮図のよう。永眠なんていうことは全くもってしたくないと常日頃から思っている私ですが、それはおちおちしていられるものですらないようです。

そんな話を聞きつつ、墓の下に小さく収まった壺を見ていたら、嗚呼楽しいことも悲しいことも生きているからこそなのだな、と改めて痛感し、いつもの感慨が押し寄せ一瞬だけ悲しくなってしまいました。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にた……言っておきますが、俺はとても元気です。

「今は汚れた俺だけど 骨になったら 綺麗だろうね」