遠藤周作 『深い河』

深い河 (講談社文庫)

深い河 (講談社文庫)

色々な過去を持った人がガンジス河へと辿り着く。ガンジス河の近くではあちこちに行き倒れた人たちがいるが、街の人々は気にもせずにただ横を通り過ぎていくだけ。河に流れるのは遺体を焼いた灰、仔犬の死体。そして、そこは沐浴するたくさんの人々で溢れかえっている。

自分はインドには行った経験が無いので、そんな光景を見たことはもちろん無いし、それを簡単に想像することは難しい。また、主題はきっと宗教についてなのだろうけど、そこについてはいまいち理解ができない。ただただ思うのは、理解の範疇を超えた世界の果てしなさについてだけ。この分だと、宇宙には当分手が出せない。

「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」

いつか死ぬ限り、人生もコレと同じで、差などないのではと最近よく考えるのだが、そんな呑気なことを考えてしまうのは、裕福な生活に浸っているから故のものなのだろうか。もしも行き倒れている人を見たら、自分も文中に出てくる観光客のように安易な同情の言葉を口にしてしまうような気がしてならない。

かといって、ではそれが間違っているのかと考えると、なんだかよく分からなくなってきてしまう。正しいとはなんなのかを答えることもできないし、そもそも存在するのかさえ曖昧な気がしてくる始末。全ては、事実があるということが確かなだけで、それについて色々と考えること自体が馬鹿げているのかもしれない。

言えることは、文中にあるように、どんな人であれ、「その一人一人に人生があり、他人にはいえぬ秘密があり、そしてそれを重く背中に背負って生きている」ということだけである。そして、こんな自己満足のグチグチとしたどうでもいい思いを含め、(何もかもを投げだすわけでは全然ないのだが)死ねばきっと全てに意味などなくなるのだろう。

全てを包み込んで流れていくガンジス河を見ることが出来たのならば、そんなことを考えるかもなぁ、となんとなく思う次第である。